Chaos Fujiyama

I Hate My Fruity Bothers You,

ここ数日、有名人の訃報が目立つワ。毎日それなりの数の人が死んでて、たまたまここ数日の間に比較的名の知れた方たちがお亡くなりになられたんだけど。。。

そういうときによくあるのが「心よりご冥福お祈りいたします」云々のツイートやらエトセトラ。全然そんなこと思ってない感をすごく感じてしまうわけなのヨ。なんかそういうことを文字にしちゃうあたりに嘘くささがプンプン臭っちゃうわよネ。企業やら団体やら、もしくは誰かがパブリックかつフォーマルな場所でそう仰るのは一種の礼儀・作法だからいいんだけど、なんかツイッターとかで言っちゃうのはいかがなものかな、と。言ったところで何もならないし、むしろアタシみたいなクソメン…元クソメンは「う、うそくせぇ!こ、心が全然こもってねぇ!」と、心の中で横隔膜に向かってビブラートかけながら叫んでるわヨ。

これはアタシが辟易しているボランティア精神と通ずると思うワ。「ボランティアやってるワタシ偉い!褒めて!」みたいな。ボランティアやって悦に入れてるならもはやそれはボランティアじゃなくて、趣味みたいなものだと思うの。自分が気持ちよくなるためにボランティアやったらなんか違わない?と思っちゃう。もはやボランティアがファッションなのヨ、そういう人って。

例えば本当にワクチンを子供たちに届けたい!って思ったなら、そこはペットボトルのキャップ何百個じゃなくてキャッシュ渡した方が早くない?ってことヨ。いつの間にかペットボトルのキャップを集めることが目的になっちゃって、しまいには「それ飲み終わったらキャップ残しておいてね」なんて言い出すのよ。だったら自分がジュース我慢してその浮いた金を送れよ!と。アタシはキャップをあげたくないわけじゃないの。もちろん低音響かせながら「お、おう」とか言ってあげるワ。でもアタシはそんな人を「ボランティア精神を有した立派な人」ではなくて「ペットボトルのキャップをただ集めてる人」って思っちゃうのヨ。変わった趣味をお持ちですね、と声をかけたくなっちゃうワ。「実はアタシもね…殿方のトランクスをね…」なんつって自分の奇妙な趣味を教えちゃいたくなるぐらいに。

とどのつまり「いいことした気分」を金で買ってるだけなのヨ。でもそのためだけにキャッシュ払うのは嫌だからペットボトルのキャップを集めていいことした気になってるの。ペットボトルのキャップを集めるのは勝手だけど、それをドヤ顔でアピールしながらやるのはやめて欲しいワ。ボランティア精神を突き詰めていくと、援助なりをする側が援助なりをされる側と同水準にならない限り終わらないのヨ。ボランティアをやれば無条件に偉いなんてことはアタシないと思うの。本来、奉仕者本人たちは「偉いわねぇ」なんて言われることをこれっぽっちも求めていないのね。その姿勢にまわりが陰ながら敬意を示すものだと思うワ。もしも入社面接などで、ボランティア経験を買われることがあったら、それはもはやボランティアじゃないと思うの。だってその優遇という対価を得ているじゃない?「偉いねぇ」「立派だねぇ」と言われることを期待してやったらダメなものなのヨ。だからボランティアやってる人がいたら声に出して褒めたらダメ。心の中で軽く褒めてあげるの。もちろんビブラートをきかせるのヨ。

ご冥福云々ツイートをする人は「ファッションご冥福」なんだろうなって話なのヨ。それでも本人が気持ちよくなれるならいいのヨ。でも言っておくけど、男の格好してキャン玉ちゃんが縮こまっていたり、女の格好してお豆で感じないような子たちとアタシは違うのヨ!だてに女の格好してキャン玉ちゃんぶら下げてないのヨ!アタシの殿方に捧げる愛は本来のボランティア精神に勝るとも劣らないのヨ。ちょっとそこのアナタ!カワイイお尻してるわね。ちょっとつまませて!ちょっとつまませてっ!

なんだこれ(苦笑)